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2009.08.12 Wed
「桜宵」 北森 鴻 / 講談社文庫
本作はビア・バー「香菜里屋(かなりや)」シリーズ2作目の
連作短編集である。
香菜里屋に集まる客が提示する謎。
店を出ることなく解き明かしていく安楽椅子探偵役のマスター工藤。
そして、謎解きのあいだに出される料理の数々。
これが本シリーズの魅力である。
「桜宵」は、表題作になっているだけあって
印象深い話なのだが、
犬飼いとしてはやはり3話目の「犬のお告げ」が気になった。
会社のリストラ候補者を自宅に招き、パーティーを開く部長。
部長の飼い犬に噛みつかれた客(=リストラ候補者)は、
正式にリストラ要員に決定されてしまうのだ・・・
毎回、パーティーで特定の誰かに寄っていく1頭目の行動から、
マスターの工藤はそのカラクリを解き明かすのだが、
さて、実際にそう上手くいくのだろうか?
ネタをばらしてしまうと、
部長が客に配る腕巻きのひとつに塩をつけ、
塩分を好む犬がその腕巻きに執着することを利用したということなのだが、
はたして犬はそのように行動するのだろうか?
塩分の過剰摂取により部長の飼い犬はパーティー中に死んでしまうのだが、
健康な犬なら、少し多めの塩分を摂取したとしても
自ら水分を多く摂取し、排泄しようとするはずだ。
死ぬほど腎臓を悪化させるくらいの塩分量とは
どれくらいのものだろうか?
かなり濃い塩水に浸けて乾かした腕巻きであれば、
塩の結晶がパラパラと落ちるほどではないだろうか。
さすがにそのような腕巻きを配られたら、
なにかおかしいと客は気付いてしまうだろう。
そんな疑問を持ってしまったのはわたしだけだろうか?
シリーズ1作目の「花の下にて春死なむ」と同じく、
この「桜宵」もスッキリとした読後感はない。
どこかモヤモヤと心の中に残る、嫌な感じがある。
表題作「桜宵」は切ない大人の恋愛話として好きな人が多いようだが、
わたしは死んでしまった妻の行動がとても怖く感じた。
「花の下にて春死なむ」を読み終えたときは
この作風はわたしの好みなのでシリーズを読み進めようと思ったけれど、
2作目を読み終えて残念ながら早くも食傷気味になったかも・・・
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| 読書録
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2009.07.25 Sat
「対話篇」 金城 一紀・著 新潮文庫
この著者の作品を読むのは初めてである。
最初に本作を選んだのはよかったのかどうか迷うところ。
どうやらほかの作品とはひと味違うらしいのだが、
わたしは読んでいないので比べることはできない。
読み終えた感想は、
あっさりしていて読みやすい、というもの。
軽快さや爽快さ、明るさといったものはほとんどなく、
起伏の少ない淡々とした感じなので
就寝前にベッドで読むのに適していた。
本作には短めの中篇が3つ収められている。
それぞれ独立して読むことができるが、
共通の舞台や人物が出てくるので、ゆるい連作なのかもしれない。
3話とも、表題通り対話を通して語られる恋愛小説だ。
1話目、2話目と読み進んだときに、
これは尋常ならざる運命を背負った人の物語なのかと思った。
しかし、3話目はどうやら運命は関係ないらしく、
少し肩透かしをくらった感があった。
確実に言えるのは、全篇通して死の匂いが濃厚に漂っていること。
死を直前にした者にはそれぞれのドラマがあるということなのかもしれないが、
それほどまでに死にこだわる必要があるのか疑問に思ってしまった。
単にドラマティックなものにしたいだけだとすれば、
安易な感じが否めない。
ここからはネタバレになるので、未読の人は注意してほしい。
1話目に登場するのは、親しく関わった人物は必ず死んでしまうという
悲しい運命を背負った男子大学生。
大学の同級生である主人公との対話によって、
彼が経験した恋愛が語られる。
このような設定は何もこの小説のオリジナルではなく、
似たようなシチュエーションはたくさんあるので
新鮮味は感じられなかった。
淡々とした会話によって切なさが増しているのは、
作者の手腕といったところか。
2話目に登場するのは、
普段は日本の男子大学生として生活しているのだが、
実はとある国家に代々仕える暗殺者。
この設定はコミックやライトノベルにありがちなパターンではないだろうか。
3篇のうち一番ブラックな読後感があり、
個人的には好きなオチである。
3話目は、先の2篇に比べるととてもポジティブで前向き。
もちろん、かなり最後の方までは死の色が濃く出ているのだが、
希望に溢れるラストで救われる。
この話を本作の最後に持ってきたことで、
全体として爽やかな読後感で終わることができる。
文章は平易で、ストレートな物語であるので、
普段小説を読み慣れていない人でも
あっという間に読み終えることができるだろう。
駆け抜けるようなスピード感や
ドキドキするような盛り上がりはないけれど、
静かに読書を楽しみたい人にはいいかもしれない。
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2009.06.05 Fri
「天使と悪魔」 ダン・ブラウン著 角川文庫
さすがダン・ブラウンと言ったところか。
次の展開が気になって、どんどん読み進めてしまう。
実は、本書を読み始めたときは映画公開のことを知らなかった。
映画化されることは知っていたが、
それがいつ公開されるのか知らなかったのだ。
たまたまタイミングが合ってしまったのだが、
ひねくれ者のわたしとしては、
なんだか映画に触発されて本書を手に取ったミーハーのようで残念だった。
しかし、そんなことを吹き飛ばしてしまうくらい本書は面白かった。
「ダ・ヴィンチ・コード」も面白かったが(そして映画はイマイチだった)、
本書はそれ以上に楽しめた。
ひとつは、描かれるテーマが宗教(キリスト教)vs科学だったからだろう。
キリスト教の総本山であるヴァチカンと
時代を代表する科学者集団の対立という構図は、
部外者の立場で眺めていると大変興味深いものである。
本書では、現代のヴァチカンと欧州原子核研究機構(セルン)との関係と、
中世のヴァチカンと秘密結社イルミナティとの対立を絡ませ、
400年もの長きにわたって続く確執を描き出している。
ただ対立するだけではなく、
キリスト教世界を科学で証明しようとする科学者も登場するのだが、
その辺りは川端裕人の「竜とわれらの時代」と共通していて興味深い。
面白く感じたふたつめの点は、
ヴァチカンで開催されるコンクラーベ(教皇選挙会)について
詳細に描かれていることだ。
現実世界でコンクラーベが行われたのは2005年4月。
ヨハネ・パウロ2世が亡くなり、
ベネディクト16世がローマ教皇に就いたのは記憶に新しい。
しかし、サンピエトロ大聖堂という密室の中で
どのような手順を経て新教皇が選出されるのかというのは
キリスト教徒ではないわたしには非常に分かりにくいものであった。
そのコンクラーベをヴァチカン内部から描いているのだから
面白くないわけがない。
そして最後、大変興味深かった点。
これは映画が公開されなければ聞けなかったコメントだろう。
「天使と悪魔」という作品に対するヴァチカンのコメントである。
「ダ・ヴィンチ・コード」に対しては猛烈に反発したヴァチカンだが、
「『天使と悪魔』では、教会は善玉の側にいる」として
「無害」という判断を下したのだ。
・・・・・そうなのか?
そもそも、この作品中に明確な「善玉」「悪玉」はいたのだろうか?
少なくとも、「善玉」は見あたらなかったような気がしたのだが、
それはわたしの気のせいだったのかもしれない。
とにかく、わたし自身はカメルレンゴのような人物を信頼できない。
そして、彼が所属する組織を信頼したいとも思えない。
科学がすべてであるとは思わないし、思うべきでもないが、
宗教がすべてだとも思うことができない。
しかも、その宗教は世界で一番信じている人の数が多いというだけで
多数の中のひとつに過ぎないのだから。
このようなことを書くと堅苦しくなってしまうが、
本書は単純に娯楽作品として楽しむことができる。
その上で、自分なりにいろいろと妄想を膨らませることもできるので、
読み終えた後、ただ「ああ面白かった」だけではない面白さがある。
重要な点を書き漏らすところだった。
イルミナティの焼き印それぞれと、
最後のイルミナティ・ダイヤモンド。
これは完全に作者オリジナルのネタらしいが、
明らかにされていくたびに感嘆してしまう。必見だ。
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2009.05.09 Sat
「空の中」 有川 浩・著 角川文庫
日本の国産ジェット機として開発が期待されている
通称「スワローテイル」。
国家規模のプロジェクトとして超音速ビジネスジェットが開発され、
ようやく1号試験機が最終テストとして
高度2万メートルでの超音速飛行を行うことになっていた。
これが成功すれば、華々しいデビューを飾ることができるのだ。
ところが、高度2万メートルに上昇した刹那、
期待は爆発炎上してしまう。
1ヶ月後、同じ空域で演習中の自衛隊機が、
やはり高度2万メートルまで上昇したところ爆発するという事故が起きる。
2機のうち、武田光稀三尉が乗る1機はなんとか爆発を逃れて帰還した。
その武田三尉のもとに事故調査委員として
「スワローテイル」の製造元である特殊法人から派遣されたのは、
まだ20代半ばの春名高巳である。
非協力的な武田三尉になんとか事故のことを語らせようと
つきまとう春名。
この二人が「大人側の主人公」とすれば、
高校生の斉木瞬と天野佳江は「子供側の主人公」だ。
瞬は海岸で大きなクラゲのような謎の生物と遭遇する。
UMA好きの佳江に押し切られ、
瞬の家に謎の生物を持って帰ってしまう。
ちょうどそのとき、瞬の父、航空自衛隊パイロットの斉木三佐が
訓練飛行中に殉職したことを知らされる。
高度2万メートルで爆発した機に乗っていたのが斉木三佐だったのだ。
唯一の肉親だった父親もなくしてしまった瞬だったが、
「フェイク」と名付けた謎の生物とコミュニケーションをとることで、
自分自身が気付かないうちに現実から乖離していくようになる。
そんな瞬を心配する佳江だったが、
今はどんな言葉も瞬には届かないとの思いから黙認してしまう。
やがて、武田三尉と春名高巳によって、
事故空域の高度2万メートルには、
未知の巨大な生物が存在していたことが判明する。
どうやら高度な知識を持っているようなのだが、
ヒトとは全く違う価値観を持っているため
なかなか上手くコミュニケーションを取ることができない。
「白鯨」と名付けられた謎の生物を巡って、
保護派と保護反対派が対立するのだが・・・
保護反対を最後まで強固に訴え続けているのは、
爆発炎上事故により死亡した「スワローテイル」のテストパイロットの一人娘、
高校生の白川真帆をリーダーとした集団だった。
真帆の言い分は、
たとえ今現在「白鯨」が人類を攻撃してこないとしても、
いつ人類に対する脅威になるか分からない、
レーダーに映らない体と特殊で強力な攻撃能力を持つ
潜在的な脅威である「白鯨」を野放しにしておくのは危険である、
ただちにこれを排除するべきである・・・というものである。
この主張を読んでいるとき、
つい現実の「犬を巡る問題」と同じだと思ってしまった。
たとえしつけをされていて、今は従順で大人しいように見えていても、
いつ誰に牙を剥くかはわからない。
したがって、どんなときでもリードは放してはいけない・・・
つまり、将来の危険に対してあらかじめ対処しておけ、というものだ。
自分と異質なもの、完全なコミュニケーションを取るのが難しい生き物に対して、
信頼しながら絆を強めていこうとするか、
最初から信頼できないものとして排除しようとするか。
日本では、異質なもの、危険そうなものは
排除しようとする傾向が強いのではないだろうか。
もちろん、犬の場合は、オフリードによって実際に周囲に迷惑をかける
個体がいるのは事実である。
これは飼い主がしつけをしていないにも関わらず
犬を自由にさせるというのが間違いであり、
責められるべきは飼い主の意識の低さなのだが、
世間では犬を放すという行為全般に対して非難が集中するのはなぜだろうか。
やはり、排除すべき対象は同胞である飼い主ではなく、
異質な生き物である犬になってしまうのだろうか。
話が逸れてしまった。
本書では、「白鯨」は主人公たちの手から離れ、
国家の白鯨対策局が対応することになる。
「白鯨」の協力のもと、さまざまな研究が進められていくようだが、
それは本書で語られる内容ではない。
本編のあとの掌篇「仁淀の神様」では
結婚した瞬と佳江、その息子が登場するが、
「白鯨」については全く触れられていない。
おそらくは「白鯨」を巡って水面下で各国が争うことになりそうだが、
そのようなハリウッド映画的な展開は本書には馴染まない。
派手なアクションも、国際的な陰謀もほとんど登場しない。
基本的に「いい人」ばかりが登場するので
リアルさには少々欠ける部分があるかもしれないが、
その分、読後感は爽やかといえる。
掌篇も含めて500ページ強と厚めの文庫本だが、
楽しみながらすんなり読める作品である。
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2009.04.26 Sun
「ぼくには数字が風景に見える」 ダニエル・タメット・著 講談社
このタイトルは、比喩的表現では決してない。
著者には、数字が文字通り風景に見えるのだ。
こんなことは、通常の人間には想像もできない。
しかし、著者のタメット氏は「共感覚」という能力があり、
数字を見ると自然と形や色が頭の中に浮かんでくるのだ。
もちろん、数字だけではない。
水曜日や諍いの声は、数字の9と同じで青い色をしているらしい。
こんな不思議な能力を持つタメット氏の手記が本書だ。
タメット氏は1979年生まれであるので、
現在は30歳くらいとまだ若い男性である。
そして、アスペルガー症候群と診断されている。
本書によると、アスペルガー症候群とは対人的相互反応、
コミュニケーション能力、想像力の障害と定義されているらしい。
(つまり、抽象的思考、柔軟な発想、感情移入に問題がある)
自閉症に似ているのだが、言語の発達に遅れがなく
知的障害もあまりなく、ほぼ普通の生活を営むことができるため
診断が難しいとされる。
タメット氏がアスペルガー症候群だと診断されたのは25歳のときだ。
それまでは「ちょっと変わった子供」としか思われていなかった。
平凡だが愛情豊かな両親の支えによって、
タメット氏は素直な好青年に育っていった。
本書の中で繰り返し両親への感謝の言葉を述べているが、
たしかに気難しい子供だったタメット氏を育てるのは
ずいぶん大変なことだっただろうと想像できる。
そんなタメット氏には、共感覚のほかにサヴァン症候群という
病気、もしくは才能がある。
サヴァン症候群の名前は、映画「レインマン」や
日本でも篠田節子の「ハルモニア」が連続ドラマ化されたりしたので
聞いたことがある人も多いだろう。
本書解説によると、サヴァン症候群の人は、
記憶、計算、芸術などの領域において超人的な才能を発揮する、とある。
タメット氏の場合は、計算と語学の天才だ。
数字が色と形を伴って見えることを利用して円周率を暗記し、
オックスフォード大学内で観衆が見守る中、
5時間9分かけて小数点以下22514桁を暗唱してみせた場面は
読んでいる方もドキドキし、暗唱し終えたときは一緒になって喜んでしまうだろう。
(この暗唱は、イギリスのてんかん協会への寄付イベントとしておこなわれた)
知的・言語障害がほとんどないとしても、
タメット氏のようなアスペルガー症候群の人が
通常の生活を送ることは困難を伴う。
彼らにとっては、新しい環境に馴染むのに大変な努力が必要になる。
しかし、タメット氏は高校卒業後、自らの意志で国際的慈善支援団体による
海外派遣ボランティアに応募し、約1年間リトアニアで英語を教えるという、
障害を持たない人間でもためらってしまうような仕事を経験する。
自分の世界に閉じこもりがちだった彼が、
自立に向けて立ち上がった最初の1歩だった。
その後の彼は、サヴァン症候群とアスペルガー症候群について
世間の人に広く理解してもらうために、
テレビ局や研究者に協力している。
TVドキュメンタリー「ブレインマン」は、日本でもNHKで放送されたようだ。
その中で、「レインマン」のモデルとなった
サヴァン症候群のキム・ピークと対面している。
初対面の二人が、すぐに心の深いところで分かり合える場面は印象深い。
現在、タメット氏は彼の特殊な記憶術を応用して、
自身の公式HPで外国語学習プログラムを制作・運営しているということだ。
自閉症など脳神経系に障害がある人はもちろん、
障害を持たない人にとっても役立つよう作られているらしい。
タメット氏の今後の活躍を期待したい。
| 読書録
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